Fuckin Girl

つづーる。yeah!

〔 コロナ騒動 〕

 家族がPCR検査を受けた。

 

 症状はなく、陽性になった人と同じ空間にいた可能性があったことから検査をするに至った。それを聞いた私たち家族は各自会社や学校に連絡をし結果が出るまで休むこととなった。 私は自分だけが休めばいいものと思っていたのだが所属ごと休みになってしまい、みんなに迷惑をかける結果となった。

 生きづらいぜ。

 

 検査から2日後の夕方に結果が出て、陰性ということがわかった。無事にワクチンも打つことができたし外出も OK となった。しかし、生きづらいぜ。

 

 感染者は体自体も大変であることに加え精神面での辛さもとてもあるということを実感した。

 こういう時に、「だってみんなにも起こり得ることだし」とか「コロナが悪いんだから」とかいう仲間の言葉にとても助けられた。みんな素晴らしい看護師さんになるだろうと思う。ありがとう。強く生きるぜ。

 

 私もそうなりてぇ〜。


f:id:zuruiyokimi:20210529180235j:image

【 場面緘黙について 】

 数年前からうっすら気づき始めてネットで症状をみてみたりしたが、説明を読んでも「いや、そこまでじゃないか」と思っていた。

 でも、最近またあやしいなと思ってきたのだ。というのも、毎回グループワークをする授業があるのだが。その4人くらいのグループにおいてわたしはなかなか発言ができないのである。わからなかったり、脳みそがついて行けていないというのもある。

 しかし、先日は2人ペアでのグループワークでは、なぜだろう話せるのである。

 4人グループでも、話を振られると話せる、話さなくてはいけない状況でもあるゆえか。なんなんだろうって考えていた。

 

 ここで、場面緘黙について説明を入れよう。

   選択性緘黙とは、他の状況では会話や発言など話すことができるにも関わらず、特定の状況になると話すことが困難になってしまう事が疾患の特徴です。

   選択性緘黙の症状は人前や学校などでの発語が見られないか、極端に声が小さく話すことが特徴です。

   ですが、友人や特定の人との会話や、本人にとって快適な空間では流暢に会話ができ、また書字や学習の面といった言語発達面は大きく阻害されることは少ないとされています。

 

 というわけなのだ。まさにこの通りで、べらべら喋るときもあるからグループワークのような意見を出さねばならない場面で黙ってなんか居ると「ほんとなにあいつ」ということになる。

 社会不安障害が負にスパイラルしていくのだ。

 

 てーことに気が付いた。

 

 先日挨拶ができないのは甘えだというブログを書いたがこれまたよくわからなくなってきた。 そもそもできる子はすっとやる。すっとできないっていうのはすでにそういった気質であるか、社会不安を抱えているかということなわけである。 そこで挨拶を強要するというのは無理をさせるということにもなる。 それは本人にとって負担になっていくのかなとも考えたりした。でもやってたらだんだん慣れてくるものなのかな。 そもそも挨拶をする相手に慣れていなかったり不安や緊張を覚えるから挨拶ができないわけで、まず不安とか緊張を取り除くことが一番なのだと考えた。 だから初回でガツンと怒られて自信をなくしたらよくないし、でもそんな感じでいいんだってなったりしたら良くないし。そもそも私も挨拶とかマジめんどくさいし挨拶って何なんですかね。自分ができないことなんてできればしたくないし、子供に強要するのが本当に申し訳ないんだけれども。でもこれができないと社会で苦しむのも分かるから、親心をどの方向に向けて発射したらいいのか難しいです。

 

ちょうどいいってめっちゃむずい💥

デビュー戦

昨日は野球の練習試合であった。

下の子はおなかが痛いと言ってプラプラしていたけれど、上の子はしっかりとベンチを温めていた。

 

2試合目上の子がレフトに入っていた。

相手チームがカッキーンと打ったボールはレフトに飛んできて息子の上空を通り過ぎた。息子は素早くボールを追いかけてキャッチし仲間へと繋いだ。 ちょうどはキャッチできなかったけれど素早くボールを拾いに行き球を投げる様はなかなか素晴らしかったと私は思う。

打席にも立った。

デッドボールで一塁へ。他の子が打って2塁にも走ったコーチが回れ回れと言っていたけどなかなか彼には声が届かなかったようですぐには走らず。ようやく気が付き3塁まで走ったところで1イニングが終了した。

 

そんな感じー。
f:id:zuruiyokimi:20210517180106j:image

生き方を考える。の巻

最近子供が部活を始めた。部活は入ったほうがいいと思って私の勧めで入れた。 挨拶とかちゃんとできるようになって欲しくて入ってみたんだけど最初はできなかった。けど少しずつ慣れてきて一応やるようになってきた。 で気づいたのが、やっぱり私も挨拶が苦手で慣れない人とかなれないことは緊張するっていうこと。なかなか全員にそして笑顔で大きな声ではできないでいる。 

 

今日公民館の廊下で勉強していたら大正琴教室の演奏が聞こえてきてあまりにもいろんな曲やるからなんか面白くなって録音して彼氏に送ったり曲変わるごとに次何の曲だよ何の曲だよって LINE してたら楽器練習してる時に笑われてたら嫌じゃないの?って言われてそういうつもりじゃなかったんだけどとは思いつつ、性格悪くてすみませんなんて言って喧嘩っぽくなった。

その後一人で考えて、私は性格が悪いんだなって改めて思った。いい人や気持ちのいい人になりたいと思って、どうしたらなれるのか考えた。

 

気持ちのいい人といえばやっぱり挨拶なわけだけれども。といえば野球。子供についてもどうやったら気持ちのいい人間に育てることができるんだろうと考えていて、結局挨拶ができないのも甘えなのかなという結論に至った。私は、自分のことも子供のことも甘やかしてきたのだ。

これまでは、挨拶ができないのは自分に自身がないからだとか、人がこわいからだとか、できないことに理由をつけていた。子供に対しては、言われてやるのは嫌だろうし、あんまり言われたら出来なかった時にできなかったっていう結果だけが残ってしまうから言わない方がいいのかなと思っていた。

 

でも今日改めて気づいた。これくらいでいいやみたいな思いがあるのかなということ。

意識的ではないにしても人によって態度が変わってしまうところがある。意識的ではなくてもこの人はこれぐらいで許してくれるとかこの人はちゃんとしないとやばいなとかそういう気持ちがあって、逃げられるような状況だと逃げちゃったりするんだろうなと考えた。

手を抜いてる人なんて誰も応援したくないと思うし手を抜いてるなっていうのが見えると嫌な奴に見られると思う。これくらいでいいやでなく、一生懸命やるっていうことが素晴らしいことであり、挨拶はとくに恥ずかしいとかそんなの関係なくやるべきことなんだっていうのを教えなきゃいけない。そしてそれを素直にできるような子供に育てたい。

 

性格が悪いから、人をバカにしてるようなとこがあるのかもしれない。普段から、馬鹿にしてるように見えてたりするのかなー、態度とか言葉の端々に出てたりするのかなって考えてた。だからそれと繋がった。もっと相手をリスペクトしていきたい。

 

結論、挨拶できないは甘え。
f:id:zuruiyokimi:20210507045445j:image

《 復縁のお知らせ 》

この度、復縁を致しました。

会いに、行ったんです。彼に。

ラインは引き続きしていても冷たいように感じていたし、会ったって楽しめるのか不安ではあったのですが。

でも会ったら普通に遊んでくれて、楽しい思い出がまたできた。頭の中では告白しようとかいう思いもあったのだが、もし相手がそんな気持ちじゃなかったらその後どうしたらええねんだしなんも言わないでいた。

 

帰り、見送ってくれるというので、でも、恋人でもないのにそんなことされても私つらいわ…と思って断ってうだうだ話をして結局彼に話をまとめてもらってさ。また、付き合ってもらうことになった。わたしは、まったく。甘やかしたらあかん奴やねん。私からちゃんと話さなきゃなのにね。自分の家口臭も気になったのもあって、全然顔見て話せなかった。緊張するとなのか、なんかとくにひどくなるんだな。あーあ。

 

伝え方が下手すぎやねん。この歳からでもなんとかしたいんだよな。オンラインでなんかあるよねきっとさ。探してみよかなー😚

仕事でも恋人間でも家族にも子育てにもどこに置いてもとっても大事。

 

わたしはわたしをあきらめない。

きっといい日が来る。そうなるために、がんばろう。明るくなろう。自然体で生きられるようになりたい。


f:id:zuruiyokimi:20210328154743j:image

 

ふられた。振ってもらったというところかな。

恋愛ってなんだろう。

 

さっき、振られた。

 

何回もこのくだりはあったし、その度した約束を私が守れていなかったので、もう、なにも言うことはなかった。

 

責められるのも辛かったし。

好きアピールをしてもスルーされるのもしんどかった。

嫉妬とかもするから相手を傷つけてしまうこともあったろうし、そんな自分も嫌だったから、それならそれでいいと思っていた。

 

そして、こうなった。

 

わたしはダメな人間だし、シングルマザーであるしで、彼にとっても別れたほうがいいと思っていた。

わたしも、遠距離恋愛にそろそろ限界を感じていたのもある。全然会えないのはつらかった。LINEだけで私の何が伝わるのだろうと思っていた。

約1年半。会ったのは4回。SNSからのスタートだった。

 

毎日会っている人にさえ、月1で会ってる人にさえ、私が伝わっているとは思えない。わたしは自分を伝えるのがとっても下手くそだ。

 

不器用な人間、変に真面目な人間、人との距離がわからない人間、変われない人間、だった。

 

 

 

とにかく鼻水が出るぜ。


f:id:zuruiyokimi:20210313175426j:image

優しさ。

今日は医療従事者のあり方について勝手に話す。

 

ひとは、優しくされると嬉しいものだ。

助けられると、ありがたいものだ。

医療従事者は他人であるにもかかわらず私たちを心配してくれたり応援してくれたり世話までしてくれる。すごく素晴らしい職業だと思う。私もそうなりたい、なれるかな、なりたい。

 

子供のことで病院に行ってきた。

ここの病院は2回目だった。

学校の検査でちょっと引っかかっていたので病院でさらに検査をしてもらった。大丈夫だろうとは思っていたが、もしものこともあるしと思うと少し不安であった。

 

私達の前にはよぼよぼの小さいおばあちゃんが診察を受けていて、先生はおばあちゃんに、歳だからあんまり言うのもかわいそうなんだけどなるべく短い間で来れるように頑張ってねと言っていた。今、コロナで診察室のドアも開けっ放しで診察しているので会話がまる聞こえなのだ。いい先生だなと思った。

 

さて私たちの番。息子はとても人見知りだ。慣れない場所ではだんまりしている。それでちゃんと受け答えができるか心配だった。先生はそれを察したようで、息子の目を見て、あなたに喋ってますよーという感じで話をした。息子は小さい声であったが答えていた。

引っかかってていた検査は問題がないと言うことだった。しかし近視が進んでいるらしく、先生は息子の目を見ながら、ゲームより勉強の時間を増やさないとねとか色の黒い人に目の悪い人は少ないなぜならお外でたくさん遊んでいるからだとかつまり外で遊べとかゆっくりじっくり話をしてくれた。

彼には伝わっただろうか、はいとかわからないとか答えていた。

 

 

私だけで子供を育てるのは難しい。近すぎて舐められるし、厳しくしたらフォローする人も居ないといけないというのが離婚してからわかってきたことだ。少しずつ学年が上がっていく息子、まだまだ問題ばかりの自分なので手本になれないでいる。それではいけないのだが…。もっと外に出ていろんな人に触れていろんな人の良いところを吸収してほしいと思う。ぼくらは父親というものに飢えているのではないかと少し思った。

自分のことを思って考えて話をしてくれる大人の存在は彼にとって支えとなるだろう。私にとってもとてもありがたい存在。

医療従事者のあるべき姿を見たと思った。

 

帰りの車中で〇〇先生いい先生だねと話しかけると、息子は「うん」と言った。